妻の母方の祖母は長く家庭文庫を開いていました。本や子どもたちに囲まれた生活を心から楽しんでいたようです。
今年11月、「子ども文庫の100年」(高橋樹一郎、みすず書房)という本が出版され、この中で祖母の文庫のことも紹介されています。第2次世界大戦が激しさを増す中、大阪府から高知県本山町に疎開した祖母の一家は戦後もそのまま住み続けました。祖母がその地に文庫を開いたのは51歳になる1960年のことです。
祖母の文庫は本山町では20年以上続き、その後祖母が移った滋賀県近江八幡市や神戸市でも続きました。神戸市で祖母は、妻の叔母の一家と同居する生活でした。「子ども文庫の100年」で本に溢れたようすが描かれていますが、実際に訪ねた叔母の家では玄関先から本が積まれていたことを覚えています。
祖母はよく「文庫は20年やらないとその面白さが分からない」と言っていたそうです。2007年に97歳で亡くなった祖母が文庫に費やした年月は20年をはるかに超えています。祖母の影響を受けて生まれた家庭文庫も少なからずあったようです。妻には祖母から絵本などがよく送られてきました。祖母の影響は、たぶん妻を通じて私にも及んだのだろう思います。
松岡享子さんにも、東京子ども図書館発行の「こどもとしょかん」(2018秋)159号に書かれた「高知への旅」の中で祖母についてご紹介いただきました。祖母の名前は瀬林杏子。文庫の名前は「せばやし子ども文庫」です。(店主)
1 件のコメント:
こんにちは
あまりの懐かしさに胸がいっぱいになりました。
玄関の壁いっぱいに並べられた本、おばさんの手で全ての本にビニールのカバーがかけられていました。
東部保育園の帰りに本を借りて、登園の時に返す、この習慣が何歳から始まったのかわかりません。
最初の記憶にあるのは白黒の絵に目が大きく青いネコで、瀬林のおばさんが、「ねこがどんどん駆けていくのよ」と、本をこちらに向けながらお話をしてくれました。
小学生、中学生になっても1番好きな場所で、ローラやアン、ナルニア国やフランバース屋敷、数え切れない本の友達と全ておばさんの本棚で出会えました。
還暦を過ぎても瀬林文庫で過ごせた子ども時代は宝物で溢れています。
瀬林のおばさんには感謝しかありません。
ありがとうございました。
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